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2020年1月17日 (金)

25年が経ち

阪神高速甲子園球場付近倒壊現場 今日で、阪神淡路大震災から25年となりました。その頃は以前勤めていたメーカーで研究員として勤務し、西宮の社宅で生活していました。

午前5時46分、これまでに聞いたことがない地響きが聞こえてきたと思った瞬間、恐ろしいほどの揺れが襲いました。その頃、2階で寝ており、横にはタンスがありました。偶然にも耐震対策を施していたため、タンスは倒れてこなかったのですが、もし倒れていれば下手をすると圧死していたかもしれません。1階は家具が産卵し、裸足では歩けない状態で、電気もガスも電話も通じない状態でした。

社宅でしたので、全員中庭に集まり木材を集めて暖をとり何とかしのぎました。周辺では液状化で道路の段差が1メートルに近い場所までありました。少し高くなっている武庫川の土手に登ると、神戸の方角では幾つも煙があがっており、一目で神戸方面の方がもっと酷いことがわかりました。電気が通じていませんので、情報は全く入らず途方に暮れました。何とか妻の実家と連絡がつき、車で移動しました。尼崎は信号が消えたままでしたが、大阪市内に入ると何事もないかのような状態でした。

右の写真は翌日片付けるために社宅へ戻った際、近所を撮影した様子です。随分と色褪せてしまいましたが、これは阪神高速道路神戸線で甲子園球場のすぐそばです。阪神高速道路といえば東灘区付近の倒壊した箇所が有名ですが、西宮でもこのようにV字型に落ちている箇所は複数確認されたそうです。

これ以降、大きな地震が何度も国内を襲いました。その度に耐震などが見直され、新しい住宅では地震に強いものとなっています。但し、震災を経験したものからすれば、震災後の不便な生活が待っていること知っていただきたいと思います。電気は翌日には復旧しましたが、ガスは2箇月以上時間を要しました。その間、暖房や食事、風呂など不便を極めました。耐震も重要ですが、地震後の生活をどのように取り戻すかも重要ですので、覚えておいていただきますと幸いです。

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